根本裕美さん追悼文集Ⅳ 2021年7月

裕美さん、ありがとう

「青空みたら わたのような雲が
           悲しみをのせて とんでいった」

裕美さんが亡くなってから空を見上げるたびに
口ずさんでしまうこの歌。
以前「この曲が好きなのよね♪」と、話してくれましたよね。
日曜日、つくばの星のハーモニーに来る車の中で聞いている
ラジオ番組のテーマソングだと話していました。
「裕美さんはこの曲を聴きながら
 日立から車を走らせているんだ」と、
私の記憶の中に刻まれた出来ごとのひとつ。

「ー安曇野の風にふかれてー」のイベントも
裕美さんのつぶやきからはじまりましたね。
「長野県には羊の詩舎の講師がいないのよね、、」
そうか、それなら人形展とライアーと何か
イベントできないかしら、、、
こちらも不思議な縁ですが、裕美さんが企画した
ジョン・ビリングの日立の講座に、
たまたま長野県(大町)から参加していたYさんと知り合い、
協力して実現したイベント。
Yさん、ご実家が日立でたまたま帰省した折に
ジョンの講座を知り参加したのだとか。
お話してみるとなんとお住まいは私の実家のすぐ近く。
大町に帰省した折にはライアーデュオも楽しめるように♪
これも裕美さんのおかげ。

「ー安曇野の風にふかれてー」のイベントは、二年前の7月下旬
安曇野の髙橋節朗美術館の南の蔵を会場として開催されました。ウォルドルフ人形展とライアーコンサート♪
あわせてぽんぽん鳥を作る手仕事の
ワークショップも行いました。
ライアーコンサートでは、午前は子ども向けのプログラム
♪わらべうたやシルクを使った演出。
人形劇は蔵の中での開催でしたから「ネズミの嫁入り」を
裕美さんにリクエストしました。
お人形を巧みに動かす裕美さんの仕草に、
子どもも大人も釘づけでした。
午後の部は小学生以上から大人対象のライアーコンサート
♪ゲーリッシュ・リートやサリー・ガーデン、
精霊の踊り後半は日本の夏の曲、浜辺のうたや夏の思い出などを演奏しました。
最後に会場の皆さんと歌った「うみ」は、
今でも耳にはっきりと残っています♪

このイベントが実現できたのは、裕美さんのお人形や
イベント企画をすぐに計画して下さった行動力のおかげ。
そして、演奏に協力して下さったつくばライアーの響きの仲間と大町のYさんのおかげ。
ぼうっとしていると、はやく早くここまで着いてきて!
もう準備は出来ているわよ!
と、いつもいつも背中を押してもらっているようでした。

裕美さんの笑顔、声、今も鮮明に思い出します。
裕美さんが天国にいってしまったなんて今も信じられません。
日立で、今日も忙しく動き回っているんじゃないかと
ついつい考えてしまいます。
あの海岸に行けばまた裕美さんに会えるような、、
でもまた、「何をもたもたしているの!」
「まずは動いてみること!」今も背中を押して
もらっているようです。
「さあ、今日も一日、元気にスタートしよう!」
いつも見守っていてね。
ありがとう裕美さん

はじめの詩は「小さな空」武満徹 作詞・作曲です。
一度聞いてみてください♪ (Fuji)

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~ひたちライアーの奏、メンバーの方々より~

 裕美先生、ありがとう。見ていてね。

2020年11月24日の夜、裕美先生からメールが届きました。     「ちょっとご相談があります。明日、お電話できますか?」
こんなこと初めてです。
11月には2回アトリエでの練習があったばかりです。

いったい何だろう、思い当たることはありません。
翌朝、またメールが来ました。

「入院中だと言うこと。いわきと日立の合同のクリスマスまで
には退院できそうにもないこと。アトリエは使えないので、
Kさんの団地の集会所を借りることはできないか」と、
要件のみ書かれてありました。

午後になり、先生から電話がかかってきました。
先生の声は低く、かすれていて出にくそうでした。
「腸閉塞になり、しばらく退院できそうにもないので、
クリスマスをやるか、やらないか、
やるとすれば団地の集会所は借りられるのか、
食事会の場所への連絡等」を、話しました。

私も腸閉塞になったことがあり、今の先生は、
鼻から腸まで管が入っていて、とても辛い状態だということが、
すぐにわかりました。そんな中でも、みんなが楽しみにしていたクリスマスをどうするのかを心配しての電話でした。

みんなで相談し、団地の集会所を借り、
クリスマスをすることを決めました。

クリスマス当日は、ツリーを飾り、
クリスマスの曲をいわきと日立のメンバーで弾き、
その様子を動画で先生にも見ていただきました。
先生の事を心配しながらも、おしゃべりとランチを楽しみ、
無事クリスマス会ができました。  

それから数日後、先生が入院中の病院に行く機会がありました。
コロナで面会は中止になっていましたので、
クリスマスの様子を書いた手紙と本の差し入れを持って
「病棟の看護師さんに渡しておきます」とメールしたところ、
「お部屋の前のロビーなら会えるので、そこに来てください」
と返信がありました。

こんな時面会していいの?と思いながらも
ロビーで待っていると、
点滴の台を持ったまま足取りも軽い先生の姿がみえました。
「Kさん、こんにちは」
思っていたより明るく、ずっと元気そうです。
座るなり、「ねえねえ、クリスマス会どうだった、
ちゃんと弾けた、カノンはどうだった」矢継ぎばやの質問です。

途中、点滴の様子を見に来た看護師さんも加わり、
賑やかで楽しい会話となりました。
先生のお顔は、ずっとにこやかでした。
1時間くらい、そんな時間が続きました。
こんな時、こんなに長くいていいのか、と思いながらも、
外部の人とあまり会えない時で先生も嬉しそうでした。

今から思えば、辛く苦しい管が取れ、検査をしながらも
少しずつ前進していけそうな時だったのでしょう。
「病院は、明るくきれいだし、洗濯もすぐそばでできるし
案外入院生活も快適よ」という言葉に、安心しました。

年が明け、しばらくしても退院したという知らせは
なかなか来ませんでした。

「出来れば、ゆっくりでも自分たちで練習していてくださいね」という先生からのアドバイスもあり、
7月のコンサートに向けての練習は続けていました。

3月末に、今後の事を話したいのでアトリエに来てください、
と連絡が入り、
私たちはやっと快復されたかと思いアトリエに向かいました。
アトリエに一歩入ったとたん、
もう先生のレッスンを受けることは出来ない、とわかりました。

12月に病院で、おしゃべりした時から今まで、
先生はどんな気持ちで過ごされたのか、
そして今、みんなにそのことを伝えようとしている
穏やかな姿に、ここに来るまで
どんなに葛藤があったのかと辛くなりました。
「長生きできなくても幸せよ」と
今の気持ちを伝えてくれました。

いつもの年より桜の開花が早く、
先生がそのような状態とは知らず、私たちはアトリエの後、
お花見に行く計画をたてていました。
ラインでやり取りしていたので、先生もお花見に行くことは、
ご存じでした。「座るだけなら出来るから
私をお花見に連れて行って、誰か、車に乗せて」と先生。
沈んでいた私たちの気持ちが急に上を向き、
車を連ねてお花見の公園へ向かいました。車の中から桜を眺め、
「きれいねぇ。こんなに沢山。近いのに来たことなかったの。」と喜んでくれました。
先生の隣の席に順番に座って、
それぞれ先生とお話ができた忘れられない時間となりました。

一昨年2019年は、あちこちからコンサートを依頼されました。
デイサービスの音楽療法の先生からの依頼や、
学童、日立市の百年塾、先生のアトリエでの人形展での演奏など11回ものコンサートをしました。
その年の最後は、病院の 緩和病棟でのクリスマスでした。
ベットに横になったまま会場に来てくれる人も沢山いて、
今までとは違う雰囲気の演奏会となりました。
そんな中でも、先生の優しいお話は
みんなに届いていたと思います。
病棟の医師も師長さんも喜んでくださり、
これからもよろしくと、言ってくださいました。

先生には、ライアーを通して多くの事を教えていただきました。
そして様々な出会いと経験もし、
それらはすべて私の宝物になりました。
これからもライアーの仲間たちと教えていただいたことを
思い出し、励んでいこうと思っています。

裕美先生、ありがとう。きっと見ていてくれますよね。(K.N)

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 裕美先生との巡り合い                     

裕美先生と初めて出会ったのは2002年7月頃でした。
私がつくばへ伺い芝山さんにライアーを教えて下さるように
お願いして、それまで私はライアーがどんなものか分からず、
楽器もほとんど弾いたことがないのに、
あつかましく一人で日立から行きましたが、
ほとんど何もできない状態でした。
でも他の人のライアーの音色を聞かせてもらうだけで
幸せでした。
だんだんと回を重ねるうちに、
このまま続けていけるかしらと不安になった頃でした。
日立から根本裕美さんという方が来られてますよ、
と芝山さんから紹介されました。
以前からつくばに来ておられ、大きな瞳と明るい笑顔の
なんて素敵な方かしらと、その時が初めての出会いでした。

日立でもこれからグループを作りませんか、と言ってくださり
びっくりするくらい嬉しかったです。

その頃、裕美先生は幼稚園の先生をしておられ、
その幼稚園が住んでいた家の近くで本当に偶然とはいえ
不思議なご縁を感じました。
それから、何もわからない私を指導して下さり
本当に申し訳ないくらい手のかかる生徒でした。
なかなか上達しませんでしたが、
それでも諦めずご指導いただいたのを、
何とお礼を言ってよいのやら、
このライアーの美しい音色を心の底から楽しませて下さった事、本当に感謝しています。

これからも教えていただいた事を思い出し、                                                      裕美先生の可愛いやさしいお顔と歌声を思い浮かべながら、
練習していきたいと思います。

そして裕美先生がつくって下さったライアーのつながりを
大事にしていきたいと思います。(K.M)

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裕美先生のアルトライアー

裕美先生からメールをいただいたのは、2020年12月14日、
それは、先生が体調をくずし再び入院されて
1か月余りの時のことでした。

「戸塚さん、よければアルトライアーをやってみませんか?」

「16日,一時外出が許可されたので、もし都合があえば
 アトリエに取りに来てくれませんか?」との突然のお話し。
いつもなら「エッ!無理です」と、
とまどい尻込みしてしまう私が、「はい」と即答したのは
今、考えても自分自身驚くことでした。

この一年、先生はコロナ禍の中、
闘病を続けながらもおけいこの時間を設けて下さいました。

でも、先生がアルトライアーを弾かれることはほとんどなく、
ケースに入ったままポツンと、
取り残されているかのようなライアーが気にかかっていました。「うちでおるすばんしましょうね」
と思わずお受けしてしまったのは、
そんな思いもあったからかもしれません。

「良かった!これで来年のつくばの大会に
私が出られなくなってもみんなで演奏できますね」との返信も、
何事にも用意周到で几帳面な裕美先生のこと、
またアクシデントがあってもと
万全な状態を考えていらっしゃるのだと単純に思ってしまう程、それは普通でさりげないものに思われました。

伺ったアトリエは、まるで時が止まったかのようで、
先生によって命をふきこまれた手作りのお人形たち、小物たち、ライアーたちはじっと息をひそめ、それは先生の回復を
待ち続けているその時の私の心そのものだと感じました。

「重いから気をつけてね」と、
一度もライアーにふれることもなく、
いつものようにこちらを労って下さる先生が、
どのような想いでアルトライアーを送り出されたのか、
その気持ちは、その時も今もおしはかることができません。

はじめてふれるアルトライアー…「アルトは音符的には地味で
リズムキープのパート。下から支えるのよ」
「大変だけど大丈夫。楽しんで弾いてね」最後の教えに
「よろしくお願いします」「こうですか?」と問いかけ
語りかけながらの試行錯誤の毎日は、先生と過ごした
充実した楽しい10年の時間を追体験する時間でもありました。

ひたちライアーの奏に遺されたライアー、いつの日か、
かかえきれない感謝の想いをこめて
日立のアンサンブルの奏を先生のもとに届けられますように。
先生、待っていてくださいね。 (T.F)

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 出会いにありがとう                  

私は「ひたちライアーの奏」の一番最後の生徒になりました。      

2017年の初夏、軽い気持ちで訪れたアトリエでの
お人形の展示会に行き、そこで裕美先生の温かいお誘いもあり、その日のうちにライアーに挑戦することを決めました。

ずっと心の片すみにあったライアーを習いたいという
想いが叶ったこの日の裕美先生との出会いは、
導かれたのかなと思えるような
奇跡のような出来事となりました。

それまでは、羊毛を教えている根本さん。
ライアーらしきものを持って駅のホームで時々見かけるけど…。
そのくらいの認識でしたが、
その日から私のライアーの先生になりました。

4年にも満たない短い時間になりましたが、
そのせいかひとつひとつが鮮明で、
かけ足のように学び経験させて頂いたように思います。

習い始めて一ヶ月程した頃に
「中古のライアーが手に入りそうだけど、どうしますか~」
というラインに
「先生が良いと思うなら、お願いします!」とお返事しました。
古くてかび臭かったというライアーをきれいにして頂き、
1年後には弦の張り替え、
そして念願のバッグまで作って下さいました。
お陰様で全てがお気に入りで、
私の分身のような大切な宝物です。

ライアーの練習の後は手作りのランチを頂き、
手仕事の材料やお人形などでいっぱいのアトリエは
夢のような場所でした。「おはようございます」と
入って行くと、笑顔で迎えてくれる先生。
それだけで安心できる存在。
この先もずっと続くと思っていました…。

先生に教えていただいたライアーはまだほんの入り口で、
新米ですが、今年の3月末にみんなで桜を見に行ったとき先生は「大丈夫!楽しんでやればいいのよ~」
と笑顔で言って下さいました。
今思えば先生の隣でずっと練習できたことは
とてもありがたいことでした。
これからもずっとライアーは続けていきますが、
楽しむということを忘れずに、
先生のところに響くような
きれいな音色を届けていきたいと思います。

裕美先生今までありがとうございました。(k.k)                     

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