サークルわ 根本裕美さん追悼~りんごろうそく~2021年12月25日

~サークルわ~

サークルわはシュタイナー教育を中心に
人と人との出会いを通してお互いに成長しあっていこうと
1998年に水戸で誕生したサークルです。
現在は小川陽子先生を講師に、水戸市稲荷第2市民センターで
月1回の大人と子供のオイリュトミーを行っています。
常時活動できる人数が4,5人とメンバーが減りましたが、
無理なく、なまけず、できることを確実に、
歩みは小さくても、皆で学び、高めあっていきたいと
活動を続けています。

根本裕美さんは長年クラスのフォルメンクラスを担当しながら、七夕ライアーコンサート、
りんごろうそくなどを企画したり、
機関紙[クライス]の執筆を担当したり。
また2006年親子に贈るオイリュトミー公演、
2008年2014年オープンクラスでは
中心になって企画運営するなどサークルのかなめになって
活動してくださいました。

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~根本裕美さん追悼~りんごろうそくを終えて 2021年12月25日

11月の水戸のオイリュトミーの時、裕美さん追悼のりんごろうそくをやろうと決めてから手探りで準備を進めました。前にやったのは7年前、裕美さんがほとんど用意し仕切ってくれていました。(メンバーは当日がんばる。)
しかも今回はオープンにして、裕美さんに関係ある方に
たくさん来てもらおうという途方もない計画でした。
(できるのか?)

それでも思い続ければだんだん形になっていくもので、
メンバーの知り合いの農園の方がわざわざ山で杉の木を
(3本も)切ってくださりフレッシュな緑の枝が手に入ったり、
急な参加が相次ぐ中、間に合うように
小川先生がろうそくを調達してくれたりして、
枝もろうそくも手に入りました。

また、裕美さんの思い出の品を展示しようということで
家の中を探し、息子が幼稚園に行っていたころの
裕美先生手作りのカードやエルゼクリンクのパンフレットを
掘り出したことも。
裕美さんが執筆してくれたサークルの機関紙を読み直したり、
裕美さんに教えてもらった羊毛の天使を参加してくださる方の分手作りしたり、星の子を作り直したり。

りんごろうそくの準備期間は、
裕美さんの思い出にどっぷり浸る時間になりました。

そして迎えたりんごろうそく当日。
大人15人子供5人がこの日のために集まってくれました。 

みんながてきぱきと動いて会場設営も滞りなく進み、暗闇の中、りんごろうそくが始まりました。

ところが私ときたら、ライアーを弾くのに精いっぱい。
隣で弾いてくれる日立から来てくださったKさんの
素敵な音色を乱す自分のライアーの音に焦り(調弦が…!)
暗闇の中で目を離すと弦の位置がわからなくなってしまうので
ろうそくの美しい光を横目でしか見られず、
単調な曲をひたすら繰り返し弾いていました。
裕美さんもこうしてみんなのために弾いてくれていたんだなと
思うと、なんだか無性に裕美さんに会いたくなってしまい、
ライアーの響きに切なさがつのりました。

終了後の食事会では、Kさんに裕美さんの地元での様子を
伺ったり、裕美さんの大久保幼稚園時代の同僚や
「ママの手」時代を知っている方の話を聞き、
若いころの裕美さんに思いをはせたり。
裕美さんがどんなに才ある人だったか、
またどんなにそれをみなに与えてくれたか、
優しく細やかな反面どんなに男気にあふれていたかなどを
思い出し、語り合い、
とても温かな時間を過ごすことができました。

念願だった裕美さんの追悼のりんごろうそくができたことに
心から感謝しています。

集まってくださった皆さん、応援してくださった皆さん
本当にありがとうございました。

ここからは余談です。
山のような荷物を積んで家に帰ってしばらくして、
ライアーとキンダーライアーがないのに気づきました。
会場に置いてきてしまったのです。

アルコールを飲んでしまったので運転できず、
仕方なく歩いて20分ほどの市民センターに取りに戻りました。
真っ暗な冬の道を寒さに震えながら一人で歩いて
会場に行きました。カギを開けて誰もいない玄関にはいると、
ライアーはちゃんとカウンターの脇においてありました。

ライアーを手にして初めて、こわがりな私なのにこの状況が
少しも怖くないことに気が付きました。

裕美さんはずうっとそばについていてくれたんだと思いました。

ライアーをかかえて帰る道々、空を見上げて、
私はこっちでがんばるね、と声を掛けました。

寒いけれど不思議に温かい、
忘れられないクリスマスの夜になりました。(Junm)         

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~裕美さんへ

2021年4月7日、満開の桜が散るように、
私達の大切な裕美さんが旅立ちました。

2020年は、withコロナで日常生活の制限も多く、
多くの人が閉塞感を強く感じる日々の中、
裕美さんは病魔と戦っていました。
私達は少しも気付くことができず、
3月に裕美さんにお会いできた時は、
しっかりとご自分の行く道を定めていました。

裕美さんは、いつも好奇心いっぱいに、
さまざまな事に挑戦して、すべからく自分のものに昇華させて、
私達に惜しみなく披露してくれました。
私達はその多才ぶりに感嘆させられました。

サークルわで空間を共有したオイリュトミー、読書会、
他愛のないお喋り、裕美さんとともに過ごした時間は、
私達の貴重な宝物、こころの中ではりんごろうそくの
光のようにいつも輝いています。

「風の時代」となった今こそ、ちゃんと地に足が付いている「風」の裕美さんが必要なのに、
裕美さんの叱咤激励が欲しいのに、
ひとりで遠くへ行ってしまいました。

でも、「ちょっと、行ってきたのよ」と、
またサークルわに笑顔で現れそうな気がしています。

裕美さん、次にお会いする時には、
成長した私達でありたいです。その時までしばしのお別れです。

安らかに、おやすみなさい。  
 サークルわ一同( 絵 A.I. 文 K.K.) 

(*12月25日に行われたりんごろうそくで参加者にお渡ししたカードに記載したものです。)

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~裕美さん追悼りんごろうそくを終えて

2021年12月25日、クリスマス当日に私たちサークルわ
いつも活動している稲荷第二市民センター集会室で
りんごろうそくが厳かに行われました。

今年のりんごろうそくは、4月に若くして亡くなられた
裕美先生の追悼を込めて行なわれました。

私は、かなり久しぶりのりんごろうそく、
以前は子供と一緒の参加だったため、これほど、
この厳かな素敵な雰囲気をじっくりと味わえていませんでした。

入室すると暗い空間に枝で渦巻の通路ができており、
ライアーの音色と共に一人一人がりんごを持って
渦の中を歩いて中央にあるロウソクから火を戴く。

そして、20個のりんごろうそくに火が灯った時の美しさは、
まるでマリア様が馬小屋に向かう途中の
森の中にいるような感覚になり、
しばらく、ライアーの調べを聞きながら、
裕美先生の喜んでいる様子を感じることができました。

この空間に裕美先生は確かにいらっしゃる、
そして私たちがこの追悼会を私たちなりに

思いを込めて、裕美先生を思い出しながら催していることを
あの微笑とともに激励してくれていると思いました。

クリスマスをこのような形でお祝いでき、裕美先生や小川先生、サークルわのメンバーそして
サークルわに関わる皆さまに出会うことができ、
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

皆さん、本当にありがとうございました。(サークルわ M.O.)

 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

渦巻きの描いて敷かれた針葉樹の葉の道をたどり
中央のろうそくに天使さまがおごそかに火を灯しました。

ライアーのきらめく美しい音色が空間を満たしました。

お話のあとにひとりひとりりんごろうそくを抱いて渦巻きを歩き
火をいただいて渦に添って連ねていきました。

20のりんごろうそくの火がほのかに揺らめきます。

この小さな光がマリアさまの足元を明るく照らしますように。

私たちの進む深い森の道しるべとなりますように。

追記

サークルわのりんごろうそくの集いは数年休止していましたが、大切なメンバーである根本裕美さんへの追悼の思いから
12月25日に開かれました。

裕美さんが天国から暖かい炎を贈ってくださったと同時に、
一緒に歩いてくださったと思います。  

ありがとうございました。                    (サークルわ A.I.)

 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

クリスマスが近づくとアトリエには、りんごろうそくが
飾られていました。「サークルわ」の方から、
追悼のりんごろうそくのお誘いがあった時、
すぐに行ってみたい、これは行かないと、
という気持ちになりました。

「サークルわ」の方と私が連絡を取るようになったのは
裕美先生が旅立たれてからです。
日立の仲間3人で参加予定でしたが、
都合が悪く一人での参加になりました。

りんごろうそくの事は、よく知らず初めての場所でしたが、
裕美先生に背中を押されているように思いました。

暗い部屋の中に渦巻き状の木の枝が置かれ、
一人ずつゆっくりと、
りんごろうそくに灯りをともし少しずつ灯りが広がっていくと、
幻想的な雰囲気に包まれました。
暗くて弦がよく見えないなかでの演奏でしたが、
参加した方に良かったと言っていただき、ほっとしました。

裕美先生が活動していた場と、サークルの方達と
時間を持てたのも嬉しかったです。

裕美先生は色んなことを発信されていたでしょうに気づかず、
今になって教えられています。 

日立までの帰り道、
心の中が温かく満ち足りた気持ちになりました。   (N.Y.)

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

りんごローソクの暖かい光のような炎を見つめながら
ライヤーの音色に導かれて静かに
裕美先生を想うことができました。

参加できて本当に良かったです。

Mさんや皆さんの裕美先生への想いに感謝します。(H.O.)

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

裕美先生が花祭りの前日に旅立たれて、約8ヶ月、
「サークルわ」のメンバーで追悼の気持ちを込めて
りんごろうそくを企画した。
当日はライアーのやさしい音色が響く中、
深い森の中で足元を照らすお手伝いをするお話が語られ、
一つ一つ計20個のろうそくに灯りがともされた。
その静寂と光の美を裕美先生も味わってくださったと思う。

この二十数年来の裕美先生との思い出は一言では
とても語り尽くせない。
エルゼクリンクのオイリュトミー講演の詳細な段取りと指揮、
大久保幼稚園でのスーザン・ホワイトヘッドさんの講習会には、当時まだ幼かった息子たちを連れていった。
サークルわの活動の時には、いつも様々な情報をくださり、
舞いは情熱的だった。

毎回の小さなワーク、例えば葉書のパステル画の時などは
透明ファイルにマスキングで固定するなど、
いつもよりよい方法を心掛けていて、創意工夫の達人だった。
その後ライアー、手仕事の研鑽を重ね、ライアーの世界大会の
便りをブログで拝見したのをよく覚えている。
お土産にいただいたケルト文様のカードは
今も私の書棚で存在感を放っている。
日立と横浜の距離をものともせず、
ひつじの詩舍の重責も担われていた。
ご自宅の十王のアトリエにも、度々寄らせていただいた。
毎年の年賀状用に作られていた羊毛の作品も
秀逸で忘れられない。
もっともっと教えていただきたかった。

2020年6月末に専門的知識の提供を受けに再訪したのが
最後になってしまった。
結晶模様のオーナメントを教えていただいた。
自然の麦わらの飾りから発想を得たこの創作のポイントは、
紙粘土とアイス棒でつくった型と
15㎝のキラキラモール、そして内側がΦ3㎜のビーズである。
これにも裕美先生の独創性が発揮されていた。
私がフォルメンで八芒星を描いた話をしたら、
エストニアのキヒヌ島の民族衣装の絵葉書を見せてくださった。
今回のりんごろうそくの展示に合わせて、
赤い縦じまの民族衣装の小さなお人形を求めた。
八芒星が表すのは魔除けの「明星」、裕美先生の真摯で
まっすぐな気持ちはいつも私達を照らしてくれている。
                                                                                      (サークルわ F.T.)

 

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~